「社会不適合は才能だ」と言い続けていたら、ガイアの夜明けに密着された話
先日、立ち上げ時から関わっていた 鎌倉自宅葬儀社が、ガイアの夜明けで報道された。
ありがたいことに、「どうやって、密着にこぎつけたんですか?」と質問も頂くのだが、こう応えるようにしている。
「(鎌倉自宅葬儀社を立ち上げた)馬場は、もしかしたら社会不適合者かもしれませんが、僕はそれを才能だと言い続けただけです」
どういうことか?の説明のために、自宅葬儀社のコンセプトや葬儀業界の流れを、少しだけ解説させて頂きたい。
自宅葬儀社のコンセプトは「“偲ぶ”に原点回帰した、古くて新しいお葬式」で、背景にあるのは、葬儀業界の「省略化」の流れだ。
近年、葬儀を経ず、火葬のみを行う「直葬」が増加しており、2014年の鎌倉新書の調査では、関東圏における直葬の割合は20%を超えている。
直葬に象徴されるように、葬儀は首都圏を中心に、「省略化」の流れが進んでいるが、端的に言えば「いつのまにかお骨になっている」のが、近年の傾向だ。
また、一般的な会館葬でも、弔問客の“おもてなし”をしていたら、「いつのまにかお骨になっている」こともあるだろう。
「いつのまにかお骨になっている」ことに対して、「大人力」の高い方は「そもそも葬儀はそういうものだ」と思うか、自分にそう言い聞かせて、自分を納得させることができるのかもしれない。
その点、馬場は決して「大人力」が高いほうではない。
エピソードは割愛するが、「そういうものだ」と自分に言い聞かせる、という概念がない人物ではないかと思うことがある。
そういう意味では「社会不適合」なのかもしれない。
でも、だからこそ「いつのまにかお骨になっている」ことに潜む、「偲び足りない」という問題を「発明」(詳細は後述するが、「発見」ではない)し、偲びきる(泣ききる)「原点回帰」の葬儀を目指した。
余談だが、ガイアの夜明けが密着した際もそうだったが、馬場は葬儀業界歴14年にもかかわらず、葬儀のプランニング中に泣いてしまうことがある。
業界歴は長いにもかかわらず、ある意味で慣れていない。でも、慣れなかったからこそ、問題を発明できたのだろう。
余談が長くなってしまったが、これは、紛れもなく才能だ。
発明した問題を言語化さえすれば、それは「時流」になるからだ。
実際、メディアには「サードウェーブ葬儀」や「新しい弔い方」のように、葬儀の新たな時流をテーマに取材頂いた。
冒頭で、
「僕はそれを才能だと言い続けただけです」
と書いたが、具体的には、彼の発明した「偲び足りない」という問題を、言語化しただけだ。
もちろん、言語化するには、ブログのタイトルにもなっている「企画=(柳原可奈子+池上彰)÷2」のような、テクニック論もあるが(少しだけ宣伝をさせて頂くと、「サードウェーブ葬儀」と言語化すると、一定の確率で「第一の波は?第二の波は?」と質問して頂ける。こういった、いい質問を引き出すのが「池上彰力」だ)、そんなテクニック以上に、彼と接するようになってから、肝に銘じていることがある。
それは問題は「発見」するものではなく、「発明」するものという意識だ。
葬儀という同じ事象に対して、ある人は「そういうものだ」と思い、馬場は「偲び足りない」という感情が沸いた。
つまり、「いつのまにかお骨になっている」という事象は「発見」の対象ではあるが、それを問題と思う意識は「発明」だ。
しかし、問題を発見の対象と捉えていると、自分の「外側」に意識が集中し、自分の価値観をどのように設定するかという、自分の「内側」に意識が及ばなくなる。
なので、馬場の発言に違和感を覚えたときは、才能の片鱗が顔をだした。と思うようにしている。(ときどき、本当に意味が分からない時もあるけど笑)
ここまで、半ば馬場をdisりながら書き連ねてきたが、彼にこの場を借りて、お礼を伝えたい。
自分自身が社会不適合者で、学生時代は教室という社会に適合できず、社会人になってからも組織という社会に適合できず、いじめや鬱も経験した。
ただ、彼に出会ったことで、だからこそ、社会不適合を才能に変えることが「天職」だと気付かせてもらった。社会不適合者だった自分の過去に意味を与えてくれたのが、彼だった。
先日32歳になった。32歳にして、まったく大人になれる予感がしない。
「職業はマツコデラックスです。」と言うようになったのも、彼の影響だ。
彼にはこれからも人生計画を狂わされそうである。いい迷惑だ。